藤本 議員の補足質疑 質疑と答弁

◯48番(藤本顕憲)登壇 ただいまは清いせせらぎのような感じの初々しい、いい質問を聞かせていただいて、なかなかこの後の質問は難しいんですけれども、いずれにいたしましても議場の皆様方は連日まことに御苦労さまでございます。みらい福岡の藤本顕憲でありますが、我が会派の笠議員が行いました代表質疑に関連し、博多駅筑紫口東南エリアのまちづくりについて、すなわち福岡市発展の伸びしろをどちらに求めるかということ及び香椎駅周辺地区のJR鹿児島本線の高架化について、以上2点について補足質疑を行います。
 まず質問に入ります前に、若干会派の時間をいただいておりますので、2点ほど所感を申し上げたいと存じます。
 この時期になりますと、たくさんの職員がいよいよ無事に卒業ですという御挨拶をされます。いずれも顔色はよくて、まことに円熟味の増した、お役所の人としてはこれからが働き盛りという感じの皆さんが多くて、実にもったいないなということで贈る言葉も出ない、そういう時期を迎えたわけであります。ことしも300人弱の皆さんが御卒業されるようでありますが、まずはこういった皆さん方が長年福岡市に貢献された御功績に対して、この場をかりて心から敬意を表しますとともに、公私にわたってお世話になった皆様に心から厚く御礼を申し上げたいと、このように思います。
 しかし、翻ってみると、人口減と言えばみんな人口減と言い出すし、減っておるということは事実でありますけれども、果たしてそういう捉え方だけでいいのかというふうに私は思いますといつも申し上げるんですが、何のために膨大な医療費をかけて世界最高の長寿社会をつくってきたのかと、健康な社会をつくってきたのかと。反面、定年が60であると。本当に一つ一つの政策はまことに精緻を得た政策が多いんでありますけれども、まとめて実際にこれを施行するとなると、日本の政策はちぐはぐであります。費用対効果という言葉をよく使うわけでありますけれども、医療費の関係とこういう社会の今の現実の雇用を見ておりますと、費用対効果が全くないという、そういうことを私は痛感いたしております。
 幕末、日本の人口は3,500万人ぐらいでありました。明治末で5,000万人です。しかし、その5,000万人のときも満州やハワイやブラジルに移民をした人が出始めたんです。昭和20年が7,000万人です。そして、朝鮮動乱その他の影響を受けて日本が産業が勃興して、岩戸景気やいろんな景気が続く中で、25年後に1億人の人口を超えました。そして、今日の社会になってきておるわけでありますが、この間、いろんな時代のはざまの中で女性がどんどん社会に参加するというふうなことや、結婚の晩婚化といいますかね、どんどん遅くなっていく。つまり少子化社会を迎えていくと。そういう中で、正三角形が最も望ましい人口ピラミッドがひょうたん形になったり、いびつになってきたと。私ももうことし7回目の干支を迎えますが、70ぐらいまでの人は十二分にホワイトカラーもブルーカラーも、この人口のすき間を埋めることができる、もっともっと社会のために社会参加をしていただく能力と元気をお持ちだと。
 人口減で最も皆さんの憂慮されるところは、生産労働人口が減って、つまり所得のない人がふえて消費が落ちるということを意味するわけでありますから、やはりそういった意味で、世代間の所得を全体的にやりかえなきゃなりませんが、そういう感覚で高齢者の社会参加というものを、そしてまた、それを通じてロボットとか新しい技術の進歩も図られてきておるわけでありますから、もっと前向きに捉えて、そして高齢者問題があるとかいう捉え方ではなくて、高齢者問題というのは、高齢者の長生きは歓迎すべきことであって、問題ではないと、もっと健康的にきちんと捉えていくことによって、ことしも一旦福岡市の現場から去っていかれる元気な皆さん方、もったいないと、こういうことがいつまでも続かないように、我々政治の世界も国政にそういう声をぶつけたり、市当局もひとつ頑張っていただきたいなと思います。
 年金の関係で、65歳まで皆さん何とか生活に不足がないような仕組みにはなっていますけれども、プライドというものがみんなありますし、得た知識は大変なものがあります。胸を張って70歳ぐらいまで権限を持ちながら働ける、そういう社会に早くしてほしいなというふうに思います。
 それから、私、福岡県の空手道連盟の会長を務めておるわけでありますが、かねがね稲員先生の御尊父は福岡地区の会長を務めておられて、この場でよく空手道のことを訴えていただきました。大変感謝しております。きょうは、剣道の達人の川上先生からいい御質問をいただきました。この際、教育委員会にも申し上げておきますが、現代武道と言われているのは9種類ありまして、柔剣道、空手道、それから相撲、弓ですね、それからなぎなた、合気道、少林寺拳法、長くなりますので、皆さん省略して柔剣道、空手ぐらいまで入るんですが、しかし、これはきちんと認識しておいていただきたい。市民の多少にかかわらず、こういった趣味を人生の大事な友として頑張ってある方がたくさんいらっしゃるわけでありますので、現代武道は9種目あるんだということであります。どの武道もすばらしいものでありますけれども、せんだっても、田川の3中学校で空手道を必修として採用していただいて、公開授業を行ったわけでありますけれども、特に私は、ことしは干支の年であるということで願をかけていまして、1つは、8月のリオデジャネイロのオリンピック委員会で無事に空手道を種目にぜひ採択してほしいなということであります。もう1つは、これも私と同じ年でありますけれども、大隅良典さんという東京工大の名誉教授がこの3年間毎年ノーベル賞にノミネートされました。彼は小中学校、高校、同窓でありますけれども、去年の年末にアメリカのある賞をとりまして、それをとると次はノーベル賞しかないというところまで来ておるようでありまして、ノミネートされるだけでも福岡市民として大変な栄誉でありますが、その上に受賞していただければ国家にとっても、県、市にとっても福岡の名を高めることができるわけでありますから、ぜひとってほしいなと願っております。皆さんも少し頭の隅に置いておかれて、本当に元気な福岡が一段と元気づくような話になるように祈っておいていただきたいなと思います。
 それでは、質問に入らせていただきます。
 1回目の質問はちょっと長くなりますが、2回、3回目は短くやりますので、御容赦願います。
 我が国は戦後70年を迎えましたが、国内主要都市のまちの大きな骨格は戦災復興によって形づくられたものであることから、その全国の大都市の多くが大規模改造を迫られる時期を迎えております。福岡市におきましても、戦後の昭和21年から52年にかけて実施された戦災復興土地区画整理事業や、昭和32年から53年に実施された博多駅地区土地区画整理事業により、都心部の大きな骨格がつくられ、その後の塩原、姪浜、筥崎、香椎、伊都の各土地区画整理事業等により拠点整備が行われてまいりました。その一方で、国内外における福岡市の位置づけというものは、時代とともに大きく変化してきており、近年では国際都市としての役割が求められていることから、これに対応できる将来を見据えたまちづくりに取り組んでいく必要があると考えております。このような思いから、本日は、現在まちづくりが進められております博多駅周辺地区及びほぼ完了に近づいております香椎駅周辺地区についてお尋ねいたします。
 議会でいつも申し上げておるところでありますが、2030年代は、アジアの空のマーケットが世界最大のマーケットになる、こう言われている時代を迎えます。福岡空港の滑走路の増設やターミナルビルの充実強化を図るのもこれに備える目的があります。また、2030年度には北海道新幹線が全線開通することに伴い、博多駅から北海道まで新幹線により10時間圏内になります。これらのことから、国内の大交流時代が到来すると、今まで以上に国内外の人の往来が活発になり、アジアの空、日本の空、世界の空、国内にとどまらずマーケットとしてさらに注目されるようになる時代を迎えようとしております。このことは、ただいまも大成功になってきております国際的なコンベンション、会議、イベント等、より頻繁に開催されることを意味しますし、さまざまな企業が福岡を拠点に活動を行うようになるわけであります。また、これらにより、多くの人が福岡を訪れ、集い、にぎわう、福岡市の都市活力創出の大きな源になってくるわけであります。
 福岡市は、第3次産業の占める割合が政令指定都市で唯一9割を超えております。指定都市、平均87%ぐらいですね、全国の都市が78%ぐらいですから、突出しているということではありませんが、しかし、9割台というのは福岡だけであります。このような産業の高次化が進んでおりますが、将来を考えますと、第3次産業の中でも、現在中心となっている小売、卸売、飲食業等の個人向けサービス業からコンベンション、スポーツイベント、観光等に力を入れる必要があるものであります。
 福岡のまちがなぜこんなに人口が伸びてきたかというのを、専門家とこの質問をつくるに当たっていろいろ勉強会をしたわけでありますけれども、きょうこの全て質問の中に盛り込んでいるわけではありませんが、その1つは、いわゆる選択的消費という比率が60%台に入ったのは1990年代であります。いわゆる生活をするために必要だから買うという必需品ですね、この消費をはるかに上回っているというのが福岡市の消費傾向の特徴だというのが出ています。ですから、この分野をどう伸ばすかということが今からのまちづくりのポイントになっていきます。したがって、今から入っていきます筑紫口あたりも一段の商業集積を図る必要があるというのは、せんだって10周年を迎えた駅ビルの社長の各新聞に載った談話の中に、今の博多口の方向だけではもう容積が足りないと、筑紫口のほうがどう商業集積を集約するかによって、今後の駅ビル周辺の価値が決まるんだという将来をにらんだ発言があっておったのが非常に象徴的であります。
 そのために、このような機会を的確に捉え、福岡都心部においては天神ビッグバンやウォーターフロントネクストに象徴されるような抜本的なまちの見直しを行い、これら活力を取り込む新たなまちづくりを推進していく、そういう必要があると考えるのであります。しかし、この専門家の皆さん方、全国レベルの人でありますけれども、天神ビッグバンの今の具体的な計画をずっと分析すると、まだ国際級だというにはちょっと足りないという印象を皆さん持ってあるようであります。今まで自画自賛のアジアの玄関口と言ってきた福岡でありますが、自他ともに認めるアジアの拠点都市へと生まれ変わりつつある時代がそこに来ている。さらに、その国際都市にふさわしい都市へと、福岡市ならではの気概を持って取り組むべきではないかと思います。
 昨年実施されました国勢調査の速報値によりますと、もう皆さん御承知の福岡市が神戸を抜いたということでありますけれども、こういった福岡の発展に対応していくためには、福岡地域のみを念頭に置いた議論ではおさまらないと、周辺地域を視野に入れた大きな視点でまちづくりを議論する必要があるということだろうと思います。
 福岡市は、御承知のように北は海でありますから、伸びしろはありません。企業進出や人口増の受け皿を拡大しようとした場合には、物理的にも市の北側には発展できない、市の宿命であります。したがって、市の南側に位置する福岡都市圏を意識しながら、その将来展望を考えていくことが必要となります。
 戦前戦後、福岡市は筑豊炭田と洞海湾に向かって発展をしてまいりました。そして、今からは鳥栖、小郡、久留米、こういった中九州地帯というのが、今から福岡が伸びていくときに必ず向こうからも福岡に向かって伸びてきておりますので、福岡からがずっとまた南のほうにまちづくりが伸びていきますと、どこかでぶつかっていくと。そこが私は五十川あたり、都市計画道路の交わるあの一帯ではないかなというふうに思います。後ほどまた筑紫口のときにお話ししますけれども。
 この福岡市は都市圏として、糸島から筑紫3市、糟屋郡、宗像、全地域を含めて1,170平方キロです。札幌市は1,120平方キロ、本当に同等の広さです。その中で、宗像市がちょうど北九州の境にありますので、勤労者の3割が福岡、それ以外が大体北九州のほうに通勤をされている。あとは4割から6割の市民の皆さんが福岡に働きに来られているという、本当に切ることのできない1つの都市圏を形成してきております。しかも、札幌の194万の人口に対して福岡都市圏は254万近くになってきております。しかも、向こうは札幌だけ、こちらは嘉飯山の飯塚、直方とか、ああいった地域、それから、さっき言った鳥栖、小郡、久留米、それから佐賀、唐津と、こういった中核都市がずっと控えておりまして、この大きさはやっぱり三大都市圏に次ぐ大きさになってきている。北九州と福北と合わせますと余り遜色がない規模まで膨らんできている感じがいたします。だから、福岡の将来を考えるときは、この福岡都市圏の視点を持って物事を見ていく、そういう必要があるだろうと思うんです。
 だから、水道にしても、北九州の水道管理者と去年お話ししましたら、藤本さん、うちは人口105万ですと、こう言うんですね。何でと、あなたんところ90万台だろうと、こう言いましたら、いや、北九州の水を飲んでいる人は105万人いるんですと、芦屋とか周辺の自治体で。そうすると、水で何で市民と、こう思いながら市議会史の編集に当たっておりますと、何と福岡市に合併した周辺の町や村が福岡に望んだのは、福岡市の水道の水が飲みたいと、これが合併の一番大きなきっかけだったということが記録されています。ですから、こういった水の広域水道の問題ですね。それから、消防が今度は1つになってやろうとしている行政サービスの一体化、ごみもそうです。そういった都市圏で考えていくことが本当に現実にふえてきておりますし、対応していかなきゃならない。それは福岡の発展の中で、そういうことに係る費用も吸収していかなきゃならんということだろうと思うんです。
 このように考えてきますと、南九州や西日本を結ぶ陸の玄関口のJR博多駅が、博多駅から見ると半径2.5キロに福岡空港、博多港、こういった広域的な高速ネットワークの中心のほうに顔を向いている筑紫口というのは、これは大変重要な役割があるわけでありまして、今後の都市圏のあり方の中で、この筑紫口を中心に南に向かっての福岡の伸びしろをどう考えているかということが大変大事ではないかと思っておるわけであります。
 天神地区においては、天神ビッグバンでさらなる飛躍が計画されておりますが、先ほども申し上げましたように、天神地区だけでは面積上の限界があったりして、形状がまた不整形であると、そういうこともあって、やはりどうしても博多駅とのタイアップがよい、タッグマッチだというふうに言わざるを得ない状況にあります。そして、伸び伸びと国際社会に通用する基準のビルをつくっていただきたいと、そのことを願うものであります。
 今申し上げたようなことを通じて、最初の質問でありますけれども、現在進行している博多駅前広場周辺の民間開発の状況はどのようなものであるのか、お聞かせ願いたいと思います。
 次に、香椎の鉄道高架の問題です。
 現在、香椎地区では2つの大きな土地区画整理事業、つまり香椎操車場地区における既に終了したUR施行の香椎副都心土地区画整理事業、それから最終盤を迎えております香椎駅周辺地区における福岡市施行の香椎駅周辺土地区画整理事業、この2つが施行されております。
 ちなみに、古い職員は御記憶があるかもしれません。香椎操車場地区整備構想は、いわゆるインテリジェントシティ、都市局の構想として考えられました。千代町から吉塚にかけての特定住宅開発、これはパピヨン計画といいまして、これは住宅局が起案をした計画であります。
 私は、当時、厚かましかったので呼ばれたら行きましたが、年末の予算編成時では都市センターホテルに部屋を市がとってくれまして、この2つのかかわりで役所の中を、本省の中を市の職員と走り回ったことが記憶されております。立派なまちに生まれ変わってまいっております。
 そして、この香椎の地区は見違えるように本当に立派になりました。私は、みずからの不徳のいたすところで、10年間議員の席を離れると、議席を失うという、まことにざんきにたえない、私にまちづくりを期待された皆さん方の期待を裏切る、そういう空白の時間ができる立場に立ったわけでありまして、その間に、関係の議員、議会、当局、そして地域住民の皆さん、それから国の的確な御指導、こういうこともあってまちづくりが順調に進捗してまいりましたことを、この席をかりて皆様方に本当にお礼を申し上げたいと。本当に今の姿を見ると感謝感激にたえず、深い感慨を覚える次第であります。
 しかし、その大きな変貌の陰で、先ほど尾花先生からもありましたんですけれども、私は本当は、香椎駅、そして駅東、香椎宮の方向の地域ですね、ちょっと丘陵で、これが非常に大きな難点になっておるわけでありますが、駅前が終ったら東のほうもやりたいと、区画整理をやらなきゃならんと、消防車も入らない、救急車も入らない現状が続いておるわけでありますから。それを訴えるときに、私は浪人になってそれを訴える場を失ったということでありまして、そのことはまことにざんきにたえないと思う次第でありますが、この香椎線の高架というのは、実はヤードの区画整理、香椎の区画整理の発想の原点にあったわけであります。
 私は、鹿児島から昭和26年に福岡香椎、警固小学校から香椎小学校のほうに移ったわけでありますけれども、この香椎というところに来て、香椎宮という、香椎の宮というのは仲哀天皇のことでありますけれども、香椎の宮がどんなにすごいお寺であるのかと、先ほどからお寺の話が出ておりましたけれども、このお寺は本当にすごいんですね。香椎宮、京都から見ますと、東の伊勢皇大神宮、南の石清水八幡宮、北の福井県の気比神社、それから、西の香椎宮、この全国八幡の神社の頂点の4社のことを四大廟社といいます。香椎の宮はその四大廟社であります。この四大廟社というのは天皇家の、つまり日本民族の先祖のお墓であると同時に、天皇家がみずから政治を行った天皇親政の時代がいっとき続きました。そのときに天皇が天皇親政の時代に置かれた出先機関、探題もしくは鎮台といいますけれども、これがこの4社であったんではないかというふうに言われています。
 そしてまた、この香椎宮は全国で17の勅祭社というのがあります。全国17の勅祭社というのは、戦前、天皇家の費用で運営、維持管理をした神社のことを勅祭社といいます。それは九州では香椎の宮と宇佐八幡宮のみであります。
 こうした四大廟社、勅祭社といった位置づけの香椎宮は、その歴史の割に訪れる人も少なく、太宰府天満宮、筥崎宮、宮地嶽神社、宗像大社、こういった4社の正月の人出の多さと比べて、門前に住む、香椎に住む私は残念な思いを毎年抱いてきております。
 私が香椎のまちづくりを思い立った最大の動機は、仲哀天皇や神功皇后など天皇家との縁が深く、日本百名水の1つである不老水の足元に、この百名水も、これは上田稔という人が環境庁長官のときにつくった制度でありますけれども、全国百名水の必要条件が年間100万トンの湧水があること、湧き水が100万トンあるということが条件であったわけであります。ところが、香椎宮は年間1,500トンぐらいの湧水しかないと、湧き水が圧倒的に足りないと、それで私は、武内宿禰とか、いろんな香椎の歴史にちなんだ故事来歴はあの一帯には満載であるわけでありまして、そういった歴史を訴えて何とか百名水に入れたいということで、上田稔先生に直接訴えて、そして、全国でただ一つ、故事来歴にちなんで選ぼうということで選ばれた日本百名水であります。この不老水の足元に臨時朝廷が置かれたということのすごさを、私は本当にこの一帯の歴史を見て痛感いたしておりまして、香椎の歴史、すなわち日本民族の歴史であると、これをもっと周知されなければならないという思いであります。
 また、香椎宮の裏手にある報恩寺、これは文治寺とも申しますが、例の有名な栄西上人が中国で禅を学んで帰国して最初に得度をした、禅坊主になった儀式をしたお寺がこの文治寺、いわゆる今の報恩寺だと言われております。この報恩寺の5年後に栄西は聖福寺を建立したのであります。したがって、聖福寺さんからは、この報恩寺を聖福寺の奥の院というふうに言われます。
 こういった、あに鴻臚館のみならんやということで、私は平成6年の12月議会で、福岡市議会最後の当時、県に行くことで準備しておりましたので、質問に立ったときに、あに鴻臚館のみならんやと、鴻臚館の歴史もすごいけれども、福岡にはこういったたくさんの歴史があるぞと、その一つ一つを掘り起こせば大変な魅力的な文化の花が開くというふうなことをこの場で訴えたことを記憶しております。
 ついでながら、この栄西が中国から持って帰ったのは菩提樹ですね。この菩提樹は後に奈良の東大寺の菩提樹として株分けされました。お茶も最初は報恩寺に植えられたんですが、日当たりが悪くて、これを脊振の霊仙寺というところに植えられて、これはお茶になりました。
 このような歴史に深く根差した香椎、全国から注目を集め、貸し切りバスが陸続として香椎宮に連なっていく、どんどん香椎宮にバスが入ってくる、そういうことを夢見ながら私はこのまちづくりを考え、そして、この香椎を世に出したいと、これが香椎参道の鉄道高架を訴えた最初のきっかけになったわけであります。
 お気づきになった方もおられるかもしれませんが、香椎参道と国道3号線の交差点、ここは旧建設省で日本第1号となるエレベーターつき歩道橋であります。その交差点名が通常の国土交通省のルールでは、千早五丁目交差点となるところでありましたが、特別の配慮により香椎参道口交差点との名称としたのであります。
 私は、香椎という我々日本民族の先祖につながる、いわれの深い地域に住まいを得て、何とかこの香椎宮、そして香椎宮の歴史を世に広めたいという思いから鉄道高架化、そして現在の土地区画整理事業という思いに至ったわけであります。
 私は、昭和54年に県会に出たわけでありますが、そのときは落選いたしましたけれども、そのときずっと訴えておったのは、東区は鹿児島本線と多々良川という2つの川によって4つに分断されている。この多々良川を高架にするわけにはいきませんので、鹿児島本線を鉄道高架にしなきゃならんということを当時から実は訴えておりました。この当時は、松崎の狭い跨線橋、車がすれ違うのも精いっぱいという跨線橋がありましたし、貝塚に小さな渡し場がありました。まさに川であったわけであります。そして、そういった状況の中で、福岡市の桑原市長、それから九州大学の高橋総長が、旧制高等学校時代の同級生ということで、九州大学の土地は4つに分断されている入り口にあって、都市計画上、これをスワンプ、沼地、なかなか蘇生しない、再生しない土地という意味でありますけれども、ここで九大の発展を図るには限界があるなということで、2人が同意をされて、同じ共通の認識で、ただいま九大の移転ということにつながっておるわけでありまして、今やその跡地利用は市民の大きな注目を集めることになっておるわけであります。
 余談ばかり続いて申しわけない。少し御辛抱いただきますが、私は市議会議員になって、若かったもんですから、鼻っ柱も強かったし、当時、先輩方の質問を聞いていると、当局の皆さんに適当にあしらわれている感じがしておりました。だから、何とか鼻をあかしてやりたいという思いで、建設省の廊下を走り回っておりましたら、後に住宅公団の総裁になった、当時の都市計画課長が、藤さん、あんた千早操車場て知っているかと、いや、私の地元ですよと、香椎はこの横なんだと、そしたら、ちょうど3週間前に国鉄から再開発をやりたいという相談があったばかりだと、このことは福岡市は多分知らんよという話がありまして、それを聞きつけて飛んで帰ってきまして、そして、当時の田町の都市計画か、都市計画の田町かと言われる有名な市の先輩職員でありますけれども、この方にこの話をぶつけた。それが本当ならまことにありがたいと、歴史的なチャンスだから、ぜひやりましょうということで、それが事実なら今後とも国と十分連絡をとって、この土地の有効な利用について検討してまいりたいという、私の質問にお答えいただいて始まったわけであります。
 当時、福岡市基本計画において、副都心と位置づけられていた香椎地区は、その後、時代の変遷により東部広域拠点と呼称が変わっておりますが、こうしてまちづくりが始まったわけであります。
 ここでお尋ねしますが、香椎副都心のまちづくりの基本方針はそもそもどのようなものであったのか、お伺いいたします。
 以上で1回目の質問を終わり、2回目は自席にて質問いたします。


◯住宅都市局長(馬場 隆) まず、博多駅、博多口駅前広場周辺の民間開発の状況についてお答えいたします。
 博多口周辺におきましては、平成23年の九州新幹線全線開業や駅ビルの再整備を契機として、交通結節機能の強化や回遊性の向上、憩い、にぎわい空間の充実を図るため、駅前広場再整備、地下通路、上空通路整備など官民連携でまちづくりに取り組んでいるところでございます。
 平成28年4月には、KITTE博多、JRJP博多ビルが開業し、新たなにぎわいが生まれるとともに、これらのビルがJR博多シティや地下鉄博多駅と地上、地下でつながることで博多駅周辺の回遊性がさらに向上することとなります。
 次に、香椎副都心のまちづくりの基本方針につきましては、平成元年3月に香椎地区副都心整備計画を策定しており、3つの基本方針を掲げております。
 1つ目は、JR香椎駅周辺地区を生活文化核、香椎操車場地区の中心を活動核と位置づけ、2つの核をつなぐ軸に沿って都心機能を配置する、いわゆるあれい構造の副都心とすること、2つ目に、地区東西の連絡機能を強化するための広域的幹線道路網、鉄道高架、新駅等骨格交通施設を整備すること、3つ目に、都市圏東部の多機能中心核としての香椎副都心を目指し、広域的都市機能を導入すること、以上の3点が香椎副都心のまちづくりの基本方針でございます。以上でございます。


◯48番(藤本顕憲) 2回目の質問に入ります。
 博多駅周辺地区につきましては、博多口側でまちづくりが進んでいる状況がわかりましたが、駅の東側に位置する筑紫口周辺につきましても、戦後の土地区画整理事業に伴って、九州を管轄する広域的な中枢機能として、昭和24年ですけれども、国の行政機関が集積したことで、民間企業が九州支社、支店を福岡に設置するなど、情報都市としての本市発展の原動力になったものであります。
 しかしながら、現在の筑紫口駅前広場は、新幹線などとの広域的な交通結節点であり、福岡市の陸の玄関であるにもかかわらず、その規模や容量は不十分であります。また、歩行者と車両の交錯による危険性やタクシー等の乗降場所が不足しているなど、さまざまな課題も抱えております。また、駅前広場周辺につきましても、都市機能が十分に備わっている状況にはなく、更新時期を迎えた建築物が多く存在しております。
 整備新幹線という国内広域の人流をさばく地域振興の拠点としての駅、そして、多くの人を仕分けし、送り出す駅前広場という拠点は、駅の果たすべき重要な責務であります。周辺へ向けた交通ネットワークの充実によって、周辺拠点との時間距離の利益を得ることが観光など地域発展にとって最重要であります。そういった状況を踏まえて、博多駅筑紫口の再整備や周辺建物の建てかえに合わせたまちづくりの誘導による都市機能の充実強化の方向性を市としては示すことが重要であると感じております。
 そこでお尋ねいたしますが、博多駅周辺地区におきましては、博多口で駅前広場の再整備に伴いまちづくりが進む一方で、筑紫口駅前広場におきまして、市として何か取り組む予定はあるのか、お聞かせ願いたいと思います。
 次に、香椎地区につきましては、ただいま、まちづくりの基本方針についての御回答にありましたとおり、骨格交通施設の整備の1つとして鉄道高架化がうたわれております。しかしながら前述のとおり、実際には勅使社道踏切及び水谷踏切の鉄道高架がなされぬまま、今日に至っております。
 振り返りますと、私が平成4年12月議会において、JR、西鉄両鉄道が、鉄道高架化の事業手法としての国の補助事業である連続立体交差事業の採択要件を満足するのかと尋ねた折、当時の都市整備局長から、西鉄宮地嶽線はまず間違いなく満足するが、JR鹿児島本線は少し難しい点がありそうだというお答えでありました。
 土地区画整理事業につきましては、以前、反対運動が激しかったこともあり、鉄道高架化よりも前面に出てきた感がありました。私は、鉄道高架化を行うために事業効果をより高めていく観点から、あわせて行うのがまちづくりという認識を持っておりました。
 そこでお尋ねいたしますが、鉄道高架化を行わずにまちづくりを進めた理由については、土地区画整理事業の計画策定時において、当該踏切が連続立体交差事業の国庫補助事業採択の要件に合致していなかったからだと聞いておりますが、この条件についてどのような基準だったのか、また、現在の補助採択基準に変わりはないのか、連続立体交差事業の補助採択基準について、当時と現在の違いをお伺いして、2回目の質問を終わります。


◯住宅都市局長(馬場 隆) まず、博多駅筑紫口駅前広場につきましては、歩行者と車両の交錯やマイカー、タクシーなどの乗降場所不足の解決などを目的とした再整備のおおむねの方向性について、交通事業者、地域の代表、交通管理者などと共有を図ったところでございます。
 引き続き関係者と協議を行いながら、レイアウトなど具体的な検討を進め、地下鉄七隈線延伸区間の開業に合わせた駅前広場の供用開始を目指し取り組んでまいります。
 次に、香椎駅周辺地区土地区画整理事業の計画策定当時と現在の連続立体交差事業の補助採択基準の違いにつきましてお答えいたします。
 補助採択基準につきましては、当時、鉄道と交差する両端の幹線道路の距離が350メートル以上あるとともに、3カ所以上の道路と連続的に立体交差することなどでございましたが、平成12年度から、ピーク時の遮断時間が1時間当たり40分以上、もしくは踏切交通遮断量が1日当たり5万台時の踏切であるボトルネック踏切が含まれる場合、鉄道と交差する幹線道路が1本以上あることなどに緩和されております。以上でございます。


◯48番(藤本顕憲) 3回目に移ります。
 博多駅の将来を語る上で、少々比較するのはおこがましいのでありますけれども、極めて類似している東京駅と比較をさせていただきます。
 JR東京駅の西側に位置する丸の内側は、皇居を取り囲むように国の行政機関が集積しており、東側には兜町を初めとするオフィスビルが立ち並び、その背後には浅草やスカイツリーへとつながる隅田川が流れております。丸の内側においては、駅前再整備が進み、これに合わせてその周辺での丸の内ビル開発等が実施され、まちの機能強化とともに、景観形成等のまちづくりが実施されております。一方、駅東側に位置する八重洲口側につきましては、JRの高架により丸の内側と分断されていることもあり、かつては駅裏と呼ぶにふさわしい、まちづくりの面において取り残された状況にありました。私どもも学生時代は八重洲口というのはよく承知していますけれども、本当に新橋といい八重洲口といい、昔日の感があるような変わり方になってきております。しかし、近年、この八重洲口でも駅前開発が進みまして、日本橋までにつながっていく周辺ビルの開発が進んだこともあり、まちの様相、景観は大きく変化し、今ではその背後にある日本の風情を感ずることのできる浅草へとつながっており、東京駅を起点とした浅草などへの外国人の最も喜ぶ観光バスツアーもあり、今や大きな観光資源になっていると聞き及んでおります。博多駅につきましても、この東京駅から学ぶ点が多くあると感じております。
 経済発展に勢いづく福岡市は、商業都市であり、商業とは情報そのものであります。それは、いかにして国家の持つ新鮮で大量の情報をいち早く手に入れるかということであります。福岡市民はともすると、こういう組織があること、県都福岡でありますから、県庁があって当たり前でありますけれども、県庁があることすら忘れがちです。それは、ない地域の皆さんから見るとどんなにうらやましいことか、それを福岡市民は余り経験されておりません。九州を管轄する広域的な中核管理機能としての国の行政機関、合同庁舎が博多駅筑紫口周辺に集積した、昭和24年の行政大改革が福岡の深い懐をつくることになり、今日の本市の発展の最大の原動力になったことを忘れてはならないと思うのであります。
 博多駅の東側にある筑紫口におきまして、駅前広場の再整備や周辺に位置する老朽建築物の建てかえの促進によって、集積しているホテル機能等の機能強化や国際的なレベルのオフィス、商業施設、会議場等充実を図るとともに、これとあわせた景観形成などのまちの魅力づくりに取り組むなど、大きな視点での計画的なまちづくりを進めていく必要があると考えております。
 その際には、背後に位置する国の行政機関である合同庁舎のあり方も含めての検討が必要と考えるものであります。博多駅地区は、既に一度区画整理が行われているため、天神地区に比べて街区が比較的まとまっておりますが、敷地利用が非常に細分化されております。短冊状です。これを統合していく必要があります。
 まちづくりを進める手法としては、土地区画整理事業に代表される市街地開発事業の活用などが想定されますが、近年では、これら事業を既成市街地において実施する際に、既成概念にとらわれない柔軟な運用も行われているところであります。例を挙げれば、まちづくりの際に取り壊す必要があるビルの用地確保と新たなビル建設を連鎖的に繰り返し、まちの機能を維持しながら建てかえを進めていく東京の大手町地区連鎖型再開発事業、日本経済団体連合会とその一連のビルが完全に場所を変えながら立派な施設として生まれ変わってきております。その手法がこの手法であります。また、街区の中に多く存在する短冊状の土地を有効活用しようとする場合には、これらの土地を集約化し、高度利用を図る共同化事業などもあります。また、これらの事業を考える上では、現在直面している通過交通の流入による渋滞問題を抑制する観点、つまり交通体系の再編の観点も必要であります。いずれにしても、これらの事業を行うには一定の期間を要するわけでありますが、待ったなしの都市間競争を勝ち抜くためには時間的余裕はありません。そのため、筑紫口周辺におきましても、地区の状況や将来展望をしっかりと捉えながら速やかなまちづくりを進めることが重要であると考えております。
 そこで最後のお尋ねでありますが、博多駅周辺地区につきましては、現位置での博多駅建設を契機に、昭和32年から昭和53年にかけて実施された博多駅土地区画整理事業が今日の博多部の発展の礎となっているものと考えております。しかし、土地区画整理事業が実施されて以来、長年が経過しており、筑紫口周辺には国の行政機関である合同庁舎を初め、古くなった建物も散在しております。これらのあり方を踏まえ、どのように将来の本市の発展の方向性を見定め、まちづくりを行うべきと考えているのか、市のお考えをお聞かせ願いたいと存じます。
 また、香椎地区におきましては、2つの土地区画整理は、東部広域拠点としての商業、業務機能やサービス機能など諸機能が集積したまちをつくっていくすばらしいことだと思いますが、やはりJR鹿児島本線の高架化が行われず踏切が放置されたままというのはいかがなものかと感じております。香椎駅周辺地区におけるJR鹿児島本線の高架化について、今後どのように取り組んでいくのか、市のお考えをお尋ねしたいと思います。
 最後になりますが、きょうは武道の問題で川上議員からしっかりとしたいい御質問をいただいております。また、尾花議員も香椎の残された問題点を指摘いただいたところであります。私どもが生きている間に、目の黒いうちに鉄道高架になれば幸いでありますけれども、しかし、いずれの日か、新3号ルート、これはもう私も全力を挙げてやってきた道路でありますけれども、これが通るからといって、交通量が変わるからといって香椎の参道、勅使道という、このまことにどこにもない地名をいただいている、御幸通り、行幸したところを御幸通りといいますけれども。こういった、地域と歴史の連担をしてきたまちというのは全国にそうないわけであります。連続してずっと歴史をつないできたまちというのはあるようでないんであります。香椎はその最も古いまちの1つでありまして、この香椎参道の果たした役割は交通量とか商業に資する道路とかいうレベルを超えた役割があるような気が私はしておりまして、ぜひひとつそういう認識の上で、尾花議員がおっしゃったような、残されたまちを、駅東は丘陵地区でありますから、ここを区画整理を全体やることは大変難しい。しかし平地になっているところは、私は可能性がありはしないかと。
 沖縄の名護は、岸本という有名な市長が今から30年前、全国で最小の1ヘクタールの区画整理を行ないました。50メーターの都市計画道路の中に名護市は公園と駐車場をつくりました。沖縄県がそんなのを建設省に持っていけるかというのを、この岸本市長は一係員、一係長のときから直接自分で建設省を説得に行ってつくった道路であります。
 そういった先例を見るにつけ、知恵は出せば必ず出てきます。使命感を持って香椎地区をよくひとつ市の職員の皆さん方歩いていただいて、立派なまちをつくってきていただいて感謝にたえませんが、しかし、往時を思い起こしながら、これでいいのかという思いがどうしてもついえない。商人の3分の1は店を閉じられて、3分の1は外に移られて、そして、3分の1は今変わりゆく香椎のまちで御商売を続けておられます。大変な犠牲を払っていただいたわけでありまして、私はこのことをぜひお訴えしておきたいと思う次第であります。
 最後になりますが、今回勇退される碩学の馬場局長にさしでお尋ねしてお答えいただくことはまことに光栄であります。最後の答弁でありますので、ぜひひとつ思いのこもったお答えをお聞かせいただきたいと、このように思います。よろしくお願いします。


◯住宅都市局長(馬場 隆) まず、博多駅筑紫口周辺でのまちづくりについてお答えいたします。
 博多駅周辺地区につきましては、広域交通の拠点であります博多駅の利便性を生かし、交通結節機能の向上を図るとともに、広域業務の中心として業務、商業機能の高度化や地区の特徴でございます歴史、文化などの魅力づくり、さらには、観光、集客、宿泊機能の充実強化を図ることが必要と考えております。
 そのような中で、筑紫口周辺につきましては、建てかえ更新期を迎える建築物が多くありますことから、これらの建てかえの機運や土地利用の状況の変化等を的確に捉えながら、官民が連携してまちづくりに取り組むことが重要であると考えております。
 福岡市としましては、筑紫口駅前広場の再整備を進めるとともに、周辺においては、都市機能の高質化や、まちの魅力向上を図るため、さまざまな再開発等を促す手法を活用して、老朽建築物の更新に向けた誘導、支援を行い、博多口と一体となって博多駅周辺地区が有する広域的な立地特性を生かしたまちづくりが進展するよう取り組んでまいります。
 次に、香椎駅周辺地区におけるJR鹿児島本線の高架化についてお答えいたします。
 香椎駅周辺地区におけるJR鹿児島本線の高架化につきましては、ボトルネック踏切である勅使社道踏切が除却されることで、交通混雑の緩和や交通安全上の効果などがあるものと認識いたしております。
 しかしながら、この鉄道の高架化に際しましては、影響範囲がJR香椎線や香椎駅本体等に及ぶ大規模な事業が想定されることから、現在整備中の香椎駅周辺土地区画整理事業でございますとか、広域交通を担う国道3号博多バイパスなど交通ネットワークの強化に伴う今後の交通状況の変化等を見きわめながら、可能性を探りながら取り組んでまいりたいと考えております。以上でございます。